なんで給食に揚げパンが出るようになった?|チコちゃんより

チコちゃん

なんで給食に揚げパンが出るようになった?

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かし、チコちゃんは知っています。

欠席した子どもにおいしいパンを届けるため〜。

教えてくれるのは、東京・大田区栄養士の木崎雅紀子さん。

揚げパンは給食の人気メニューにもかかわらず、長い間その発祥について知られていませんでした。

揚げパンは大田区の小学校で誕生した可能性が高い。

揚げパンの登場=昭和30年代半ば後半

しかし、東京大田区には昭和29年の段階で。揚げパンが給食に出されていた記録が残っていたのです。

給食の揚げパンは大田区の嶺町(みねまち)小学校で給食の調理師 篠原常吉さんが昭和27年ごろ考え出した。

1988年給食を特集した一冊の本が出版された。

そして一人の女性がこの本を目にしたことによって揚げパンがどのようにして生まれたのかひもとかれた。

昭和27年の冬のある日、給食の揚げパンが誕生した。

明治22年に山形県で学校給食を開始。

戦争により一旦中止になったが、終戦後に再開。

この当時の献立は、援助物資によるトマトの缶詰などを使ったスープと脱脂粉乳だった。

そして昭和25年、主食・おかず・脱脂粉乳が提供される。

この時、給食の主食の座に登場したのが、コッペパンでした。

そして昭和51年学校給食に大きな転機が訪れました。

米飯給食の導入です。

そして1998年懐かしい給食を特集した本が出版されました。

その「揚げパンのルーツ」にはこう書かれています。

【揚げパンがいつどこで、どのようにして生まれたかは、ついにわからなかった。もし、揚げパンの考案を知っていたら、ぜひ本誌に知らせてほしい】

とのこの一節のおかげでようやく揚げパンの誕生に明かりがともった。

この本を見て過去の記憶がよみがえった読者の村岡玲子さん。

「給食の調理師をしていた父が美味しいものが出来たといって、わら半紙に包んだ揚げパンを一つ持って帰ったのを思い出した」

玲子さんの父、篠原常吉さんは戦前西洋レストランのコックさん。

玲子さんはかつて父と働いていた方を探しました。

養護教諭だった先生を訪ねると、娘さんが対応。

「揚げパンを考えたのはあなたのお父さんですよ、私見てましたから」

なんと!

場所は東京・大田区の嶺町小学校。

当時3年生だった養護教諭の娘さん。

母親は養護教諭だったため、その篠原常吉と同じ学校で働いていました。

娘さんは母親の所によく行っていた。

この日も母親と一緒に給食室に向かうと、コッペパンの山でした。

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実はこの年、流行性の風邪によって多くの児童が欠席したため、給食のコッペパンが大量に残っていたのです。

欠席した児童のパンは近所の子が放課後に届けていました。

このころのコッペパンは時間が経つと硬くパサパサになった。

給食室では病気で欠席している子どもたちのために美味しく出来ないかと考えていた。

すると一人のおじさんが「揚げてみようか」と言い出した。

きつね色になったパンにはたっぷりの砂糖がまぶされた。

これが小学生だった養護教諭の娘さんが見た「その時」でした。

このパンを揚げたおじさんこと篠原常吉さん。

この揚げパンを食べたのは、当時はやっていた風邪で休んでいた児童生徒。

「甘くておしいいものがあった」話になり、先生が動き、学校が動いた。

そしてそれ以後、そのパンは「揚げパン」として、給食の正式なメニューになった。

  

ということで・・・
なんで給食に揚げパンが出るようになった?

欠席した子どもにおいしいパンを届けるため〜。


  

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