大相撲夏場所|怪伝説と錦木の今後

大相撲夏場所|怪伝説と錦木の今後

錦木が力相撲を制した。

大相撲夏場所千秋楽(27日・両国国技館)盛岡市出身で東前頭17枚目の錦木(伊勢ノ海部屋、盛岡・米内中)は、西12枚目の朝乃山を寄り切って10勝目を挙げた。

幕内では初めての2桁勝利となり、来場所は番付を大きく上げそうである。

スポンサーリンク

来場所がおおいに楽しみである。

しかしながら岩手県民としては昔からの因縁じみた話もあって一抹の不安がよぎる。

それは、
山上作太夫(一説には三太夫)は南部藩第29代重信の時代に、藩のお抱え力士となり、出世して大関にまでなった(当時は大関が最高位)。

その当時全国一強いと言われた名古屋尾張公のお抱え力士、富士の山にも勝負で勝った。

重信はこれを大いに喜び富士山よりも強いことから「山の上」と名乗らせた。

しかし延宝四年、重信の長男行信がかごで帰宅の際に、六人でかごを担ぐのは面倒と、一人で担ぎ、さらに橋にさしかかったところで幼少だった行信を涼ませようとかごを橋の欄干の外へ差し出した。

これが重信の怒りをかい、作太夫は盛岡に返され小鷹の刑場(盛岡市仙北町)で処刑された。

この処刑の際、恨み切れない作太夫は「今後南部領からは大関は出さない」と呪いの言葉を残して死んだという。

滝沢総合公園内に「山の上三太夫の墓」の看板がある。現在の滝沢市鵜飼出身の大関力士だったようである。

悲運の力士であった山上作太夫は今でも命日の8月9日には、相撲愛好家たちによって、法要が営まれているそうです。

何年か前に、栃の花が小結昇進したが、郷土力士で大関以上に昇進した人はまだいなかったような。

山の上三太夫の呪いがいまだ続いているのだろうか?

盛岡では案外昔から語られて来たことではあるが、相撲を見るたび岩手の力士はまたダメかー。となる。

はやく岩手出身の横綱を見たいものである。

スポンサーリンク

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。