自己はこのうえなく愛しい
お釈迦様がジェータ林なる給孤独園に滞在していましたころの話です。
パセーナディ王が夫人マッリカー(末利)に自分より愛しいものははたしてあるだろうか?
というような疑問を呈しました。
しばらく考えていたマッリカー夫人は、王よ私も考えましたが自分より愛しいものは思いつきません。といいました。
なんか、お互い納得できなかったのでしょう。
そうだ、お釈迦様に聞いてみようということになり、早速お釈迦様のもとに行き聞いてみました。
二人の話しを聞いていたお釈迦様は静かに、
人の思いはいずこへも赴くことができる。
されどいずこへ赴こうとも
人はおのれより愛しい者を見出すことはできない
それとおなじく、他の人々にも、自己はこのうえもなく愛しい
されば、おのれの愛しいことを知るものは、他の者を害してはならぬ
と教えてくれました。
というお話です。
一見当たり前のような話ですが、なかなか実践することはむずかしいものです。
どうしても、自分にとらわれてしまうと、相手のことを考えられなくなります。
昔中国にも同じような話しがあって、あるひとが僧に仏法とは?と問うたところ、その僧は良いことをしろ。悪いことはしてはならない。というような答えだったと思う。
それを聞いて、あるひとはそんなこと三歳の子供でもわかることだ。と怒ったそうです。
僧は三歳の子供でもわかるが八十歳になっても実践することはむずかしい。と言ったそうである。
クレイジーキャッツのわかっちゃいるけどやめられねえってのが一般的だ。
しかし、なかなか実践できないことではあるが、ちょっと考えても共通の問題はどこにでもある。
学校でのいじめから会社にいたるまで問題ばかりである。
そこにちょっとした相手の気持ちを考える余裕をもてば世の中の問題は大分無くなっていくのではないだろうかと思うのだが・・・。