「こんな夜更けにバナナかよ」筋ジスの鹿野靖明さんの生き様|世界一受けたい授業から

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筋ジストロフィーの鹿野靖明さんの生き様を見て

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鹿野靖明さんは筋ジストロフィーでありながら、施設を飛び出し、ボランティアを集め、自立生活に挑んだという。

取材を続けるうち「こんな夜更けにバナナかよ」の渡辺先生は鹿野靖明さんのことをとんでもなくワガママな人と思ったという。

24時間つきっきりで世話をしてくれる多くの人は無償のボランティアなのに、一見するとワガママし放題なのだが、長く付き合っているうちに、健常者のワガママとはちよっと違うぞと思うようになったという。

何かがあるなと思ったようだ。

12歳で筋ジストロフィーと診断され、18歳で車いす生活となり、施設暮らしとなったが、23歳で自立生活へと踏み出した。

インターネットも普及していないときに、自らビラを配ってボランティアを集めたそうだ。

恋もいっぱいしたようだが、失恋しても切り替えが早く、次へとすすんだという。

鹿野さんの生きる喜びは、外出と有名になることだそうで、有名になれば日本の福祉を変えられるということだった。

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そんな鹿野さんに大きな影響を与えたのは、バリアフリーも普及していない1982年アメリカから車いすで障害者の自立支援運動を提唱する、エド・ロングさんだった。

同じ筋ジストロフィーという病気なのにはるばるアメリカからやって来るその行動力に驚かされた鹿野さんは、エドさんの案内役として北海道各地をまわり、人生観が変わったらしい。

それは、エドさんから主張しなければ何も与えられないということであった。そして、障害者も自立するべきなんだと。

エドさんは、我々障害者の自立とは、自分の人生を自分で決めること。

そして、障害でできないことは堂々と助けを求めてもいいんだよ!

と、発想の転換を世界に広めていたのです。

この出会いを機に施設を出ることを決意。自立生活を開始した。もう一度エドさんに会うため英語の勉強も続けていたという。

駅にエレベーターが付いているのが当たり前の時代、エレベーターは自然の流れではなく障害者の方たちが一生懸命設置運動を続けてきたという歴史があるからという。

そして、鹿野さんの介護をしていると、対立や衝突が日常茶飯事で鹿野さんと接するということは、自分自身が試される場。とそういう面があったという。

そのなかで、この映画のタイトルの「こんな夜更けにバナナかよ」のような場面もあったという。

でも、鹿野さんは心の中も全部丸裸で勝負してくるのでこっちも必死にならないと向き合ってられなくなる。だから人生が変わっていく人もいるそうだ。

自分の意志をしっかりと伝えてくる鹿野さんは、最初は困った人だなと思うんですけど、人間として扱われたいという表れなんだと主治医の鈴木さんはいっていた。

鹿野さんのワガママの根本は生きる執念だという。

だが、2002年8月12日42歳で死去。

そして、鹿野さんのボランティアをしたかた達はその後、人生を変えたひとも多いということであった。

最後に大泉さんも娘にどんな教育をしますか? って言ったらやっぱり人に迷惑をかけるんじゃないって言ってたと思うんですよね、でもこの映画やって自分一人でできないことは頼ればいい。そして、やっぱり娘には頼られたときに助けてあげる人になってほしい。といってました。

かつて私の師が障害を持った人に、障がい者には2種類あって、自分の障がいにとらわれて自暴自棄になる人と、障がいを持ちながらも感謝を見出し前進していく人がいるが、君はどっちかな? と言っていたのを思い出した。


  

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