なぜ東と西でお餅の形が違う?
しかし、チコちゃんはしっていました。
江戸の人口が多かったから~
京都の文化を受けた丸餅。
もともと神聖な鏡餅の分身として丸い餅を雑煮に入れて食べていた。
江戸の文化を受けた四角餅。
神聖な丸い餅→分身→小さいお餅をお雑煮に入れて食べ始めるのが室町時代。
でもこのお餅を食べていたのは、武家、公家、寺など。
江戸時代中期に暮らしが豊かになると、京都の庶民も丸餅の雑煮を食べる始めた。
西日本→京都→東日本と伝わってきた。
もともとお雑煮のお餅は丸かった。
なぜ?四角お餅?
江戸庶民もお餅の入った雑煮を新年に食べる文化が広がった。
その頃暮らす4畳半一間の狭い長屋ではお餅はつけない。
家にまで出張にきてくれた。
お客さんの家のお米でお餅をついて丸めて賃金をもらう。
これは江戸で大繁盛。注文が増えて忙しくなったため、いちいちお餅を丸められなくなった。
そこで板の上にのしたお餅をお客さんに渡し、お客さんに切ってもらった。
人口は多い江戸で合理化にするために、のし餅にしてから切ったので、四角お餅が誕生した。
ということで
なぜ東と西でお餅の形が違う?・・・
江戸の人口が多かったから
江戸の人口が多かったから
番組公式ページへ
月額たった 1,000円(税抜)で始められる本格的なお店のホームページ!