なんでネジにはプラスとマイナスがあるの?
しかしチコちゃんは知っています。
ゴミが詰まるから~。
プラスとマイナスネジは現在の世の中に出回っているネジの9割はプラスネジなんです。
身の回りにあるほとんどのネジは作業が楽で効率的なプラスネジ。
なぜすべてのプラスネジに統一しない?
プラスネジは汚れが溝に詰まるとドライバーが入らず取り外しにくくなる。
そういった弱点があるんです。
無理に回せばネジの溝が潰れる。
マイナスネジは溝がつながっているためドライバーでゴミをかき出せる。
例えば屋外なんかで最初から汚れることが想定される場所はマイナスネジが使われることが多い。
屋外にある電気メーターや消火栓・お風呂場などの水回りで汚れやすい場所ではマイナスネジを多く使われているそうです。
さらにマイナスネジのメリットはドライバーを使わずに付け外しが出来る。
コインでも開け閉めが出来る。
例えばカメラの三脚とか持ち運びの機会も多いが、こういった所にはマイナスネジが使われている。
マイナスレジは微調節が必要な場所でも重宝。
腕時計の内部・ライターの火力など「-」の角度を見て調整が出来る。
マイナスネジの良さがあるため量は少なくても無くはならない。
かつてはマイナスネジが主流。
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そもそも日本にネジが入ってきたのはいつ?
1543年種子島の鉄砲伝来=日本にネジが入ってくるきっかけ
火縄銃の反動に耐えられるように「尾栓(びせん)」と呼ばれるネジが使われていた。
つまり「鉄砲伝来」とは「ネジ伝来」でもあったのです。
しかし当時はマイナスやプラスではなくネジの頭に棒を差し込んで回すというものでした。
その後江戸末期~明治にかけて小栗上野介という偉人がアメリカに視察に行った時に、マイナスのネジを日本に持ち帰ったというふうに伝えられています。
江戸幕府の勘定奉行などを務めた小栗上野忠順が持ち帰ったネジは群馬県高崎市の東禅寺に行けば今でも見ることが出来ます。
ワシントンの海軍造船所でネジくぎをもらってきた。
知り合いに配ってこういう物をどんどん作っている国がアメリカ。
「日本もこういう国にしたい」そういう主張をして、横須賀の造船所建設をしきりに提案して実現にこぎつけたと。
最初に入ってきたのはマイナスネジ。
当時はほとんどがマイナスネジだったのですが、ある人物がきっかけになり現在のようにプラスネジが主流となりました。
そのきっかけになった人物こそHONDAの本田宗一郎。
1935年フィリップス・スクリュー社(アメリカ)がプラスネジを開発。
その3年後には日本にも入ってきたのですが、当時はプラスネジを加工する技術もなくマイナスネジに比べて生産量は圧倒的に少なかったと言われています。
しかし、1952年本田宗一郎が工作機械の視察で渡米した際、プラスネジを持ち帰り、自社のバイク製造に使用するため大量生産を開始。
ネジの溝の部分にピッタリと合わせなければならず手を添えないと締めにくいマイナスネジに対しプラスネジは中心さえ合えばドライバーが横滑りせず回せたのです。
このプラスネジの特性は工場のオートメーション化に適していたため生産効率を上げることにつながったことも言われています。
HONDAの世界的なメーカーへと成長されたのはプラスネジと言っても過言ではないかもしれません。
ネジは私たちの日常の中で大きな役割をしているすばらしい部品だ。
なんでネジにはプラスとマイナスがあるの?・・・
ゴミが詰まるから~
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