X JAPAN YOSHIKI 平成の30年|SONGS OF TOKYOより

X JAPAN  YOSHIKI 平成の30年|SONGS OF TOKYOより

YOSHIKI平成の30年|SONGS OF TOKYO

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日常と仕事の境界線

司会 ソロ活動ではね映画のサウンドトラックを同時進行で2本ってちょっと普通じゃないんじゃないですか?
マインドの切り替えってどうされてるんですか?

YOSHIKI 結構僕の場合はどっからどこまでが仕事とか、どっからどこまでがステージかがわからない。

司会 線引きが?

YOSHIKI 朝起きて布団を出た瞬間からステージなんじゃないかと、寝るその瞬間まで。

司会 YOSHIKIではない瞬間はないんですか?

YOSHIKI どこを切ってもYOSHIKIだと思う。

司会 いや、金太郎飴ですね本当に。

YOSHIKI 昔デヴィッド・ボウイさんと対談させてもらったんですけれども彼もすごいじゃないステージ上でどっからどこまでが自分の人生でステージでやっぱり境界線が分からないって言われた。ちょっとデヴィッド・ボウイの影響でいうか影響されてるかもしれません。

司会 でもファンからしたらたまらないですね。

気抜いてる瞬間がないということは、車降りた瞬間からYOSHIKIさんじゃないですか。YOSHIKIさんのなかで”よし海外でやっていけるな”という手応えを感じた瞬間ってのは?

海外挑戦でつかんだもの

YOSHIKI 20年前にアメリカに行った時に自分で海外の音楽シーンに挑戦してダメだったら潔く2〜3年で帰ろうと思ってたんですね。

だけどダメな理由が見つからない。例えばX JAPANには激しい曲とバラードが存在するんですが、バラードとかピアノが出てきたり、それはやめなさいと、通用しないと。

司会 通用しないと?

YOSHIKI メイクアップとかもやめなさいとすごく単刀直入に言われまして、悩んで、そうだなと思いつつも、でもなんで?

いつも常にクエスチョンマークがあったんでもともと日本で始めた時も同じように、その後”ビジュアル系”という名前になりましたが、そう言われ。

司会 YOSHIKIさんのイメージについていけない方も、

YOSHIKI メンバーなんかみんななんか”よしじゃあその船に乗ろう”みたいな形で、よくわからないけど、そしたら結構爆発的に。

最初に僕が掲げたのがですね東京ドームでコンサートやりたいってクラブとかライブハウス回ってるときですよ?”やります”と”100万枚売るんです”って言ったら”何を言ってるんだ”みたいな、たぶん2年位でそれをなし終えたと思うんですが。

やはり自分たちのスタイルを貫き通したいと、いつか時代が僕たちについてきてくれるっていう風に。

司会 かっこいいですね!

YOSHIKI でもそうしている時に解散してしまったんです。その解散があって、10年を経て再結成した時は世界中にファンがいたという。

司会 マジックみたいな出来事ですよね。

YOSHIKI 自分でも本当に夢を見ているのかというか、特にインターネットの発達によって10年前に作った音楽が勝手に一人歩きをして広まっていったことが信じられなくて、これは神様が僕らに与えてくれた何がなんだろうと、日本に限らず世界中の方々たちが地道にX JAPANを応援してくれた、皆さんが広めてくれたっていうのもあったんで、なんか逆に再結成させていただいたというか・・・

父・メンバーの死を経て

YOSHIKI 僕の場合父親も失ってるんですが自殺で失ってるんですね。すごくそういうことにクエスチョンマークを僕は抱いて生きてきたんです。

それでメンバーの死・・・

ある種過去は変えられないんじゃないですか。
起こってしまったことはただ自分がどうやってこれから生きていくかによって過去がただ暗いものになってしまうのか、または輝かしいものになるかは、過去は未来で変えられるんじゃないかって。

司会 深いですね。並大抵の経験では・・・言えないですよ。

過去って未来で変わるのか

YOSHIKI そのためにも過去をね、メンバー亡くなって他界したメンバーのためにも僕らが頑張れば頑張るほどHIDEやTAIJI彼らの素晴らしさは更に伝わるんじゃないですか。

そのためにやらなきゃと思うんですよ。

♫ ENDLESS RAIN 歌う

そして、ゲストの質問に主身を聞かれて。

YOSHIKI 趣味というより、もっと大切に考えているのがさまざまな慈善活動です。

それは、自分のためでもあります。というのも人を助けることは自分を助けることだからです。

慈善活動を始めたきっかけは父とメンバーを失ったことでした。

落ち込んで生き方に悩む中で人を助ける活動を始めました。すると感謝の言葉をいただき自分の存在意義を見つけました。

またすばらしい音楽を作って人々を支えるのも僕の使命です。

音楽も慈善活動も同じなんです。そう気づいたので積極的に慈善活動をしています。

ゲスト 日本国内で?海外でも?

YOSHIKI 世界中どこでもです。こまっている人がいるならば。

ゲスト 南米でもたくさんの支援が必要です。

YOSHIKI ぜひ詳しく教えてください。

司会 人を助ける、人を救うということが結果自分も救われることに・・・

YOSHIKI そうですね、すごく鬱になっていた時代特にメンバーを失ったときとかは窓の扉を開けられないくらい・・・

自分は存在しなかったほうがよかったんだとか、HIDEは生きていたんじゃないかとか・・・
責め始めちゃったんですね。

外に出れない、人と接しられないという時に勇気を出してチャリティーをし、一歩踏み出したら自分の存在意義があるんだと世の中のためになるんだと思い始めた瞬間からある種自分を救うためにでもあるという持ちつ持たれつのような、なんで自分がこの世に生まれたのかって、ミュージシャンに限らずだと思うんで、世の中の人って全員が何らかの使命を持って生まれてきていると思うんです。

それを見い出す…。

なんの使命を持って生きてるのかを探すのが、人生なんじゃないかと最後までそれを探して終わる方もいるかもしれないですけど、僕はチャリティとかを始めた時に一つ見つけられた気がして。

司会 X JAPANの音楽、YOSHIKIさんの音楽がもうチャリティみたいになってますよね。平成元年にデビューされました10年間の空白、解散ということもあり活動されてきて、そして世界への発信の仕方も平成のこの世の中で、YOSHIKIさんの中で平成はどのように感じましたでしょうか?

YOSHIKI やはりメンバーを失った時ですね。HIDEの死の時はもう人生がという、僕は音楽しかしてこなかったので自分から音楽をとったら何が残るんだろうと、ずっと考えてたんです。

きっと音楽には関わって生きていくんだろうなって、だけどステージに立つ自信がないとか、もうステージに戻れないんじゃないかとかそういうふうになった時だったんですね。その時に、たまたま天皇陛下の奉祝曲の作曲のお話を頂いたんです。ご即位10年の時のそれも何かに導かれたように。

それで最後の力を振り絞って書いてみようかなと、とても光栄なことなので、皇居前の広場のステージに立ったんですけど、その時に歓声を浴びまして、僕が生きる道はステージなんだと改めてまた…。

司会 ステージであり音楽なんだと再認識、再確認を、すごいですね。出来事の連続だったんだなっていうふうに…。音楽の神様に導かれたてるかのような音楽人生でいらっしゃいますよね。

YOSHIKI その時に一つのメロディーを決めまして、その喜びを長調で表現し、悲しみを短調で表現してっていう、それがやはり未来に迎えるようにオーケストラと絡んでいく、最後は力強く終わろうと思ったっていう…。

司会 今日披露してくださるんですよね?特別にですよ。あれ?テレビでは初めて?

YOSHIKI 初めてですね。

司会 しかもこの国際放送のオンエア日が30年前のデビュー日で。こんなことあります?と思って、それでまた「Annivesary」を初披露という。

YOSHIKI 何か本当に導かれてるようで。

司会 導いてますよ。神様も。

YOSHIKI やはり人って生かされてるんだなって思いました。生きていくという自分の意志も大事だと思うんですけど、生かされている限りには頂いた生命を思いきり生きたいという、そういう意味も込めて、演奏してみたいですね。

司会 今日だけの特別な「Annivesary」。

「Annivesary」を演奏した。

〜過去は未来で変えられる〜 
アーティスト語録
YOSHIKI

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