盲亀浮木のたとえ|人身は受け難し、このチャンスを逃すな

盲亀浮木のたとえ

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昔、お釈迦様が喩えを持って弟子達にこのように説かれたという。

比丘たちよ。

一人の人が一片の木片を大海のなかに投げ入れた。 その木片には一箇所だけ穴があいていた。

そして、ここに盲の亀がいて百年に一度だけ海面に浮かんできては首をだすということであった。

その亀が海面に浮かんできて、その木片の穴に亀の首がスポッとはまるということがあるだろうか? と問うた。

比丘たちはそのようなことはとうていありえませんと言った。

お釈迦様はそうであろう。といって、 だがそれよりも稀有なことがあるのだよといい。

それはひと度、悪しきところに落ちたものが、ふたたび人身を得るということはさらに稀有であるということであった。

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十界(じっかい)仏教の世界観

開経偈に

 経巻を読誦する前に称える偈文。現在日本の各宗派でだいたい同じ偈文を用いている。(コトバンクより)

人身は受けがたし いますでに受く

仏法聞きがたし いますでに聞く

この身今生に向かって 度せずんば

さらにいずれの生に 向かってかこの身を度せん と。

人間としてこの世に生を受けるだけでも、大変稀なこととされている。

しかし、人間界でもまだちょうど真ん中くらいであるという。

十界図で下の地獄界から天上界までを六道といい、迷いの世界であるという。

下から

1 地獄 ┓     ┓
2 餓鬼 ┫━三悪道
3 畜生
4 修羅    六道(輪廻)
5 人間
6 天上      
7 声聞      ┓
8 縁覚     聖者の
9 菩薩     世界
10        

となっている。

仏典によると、それぞれの人がこの世でどのような行いをしたかで六道のいづれかに赴くことになる。

1〜3の世界はかなり苦しみの多いところで生前の悪業の結果、行かねばならない世界で三悪道とよばれている。

十界を簡単に説明すると、

地獄界…悪行を重ね、憎しみに満ちた世界、非常に苦しい。
餓鬼界…貪欲な世界、満たされることがない。
畜生界…本能だけの世界、愚かなものたちが行く。

六道は迷いの世界で、煩悩をなくさないと、いつまでもこの六つの世界を抜け出れません。ぐるぐる六道の世界を廻り続け、生まれ変わるのです。

修羅界…怒り、戦いに明け暮れる世界。
人間界…生・老・病・死の苦しみはあるが、仏教により救われるチャンスがある。
天上界…苦の少ない世界、長生きだがいつかは生まれ変わる。

声聞界…仏門に入り仏の教えを聴聞したひとの世界。自らの悟り。
縁覚界…自己流の修行で至る世界、自らの悟り。
菩薩界…他の人々を救うために生きたひとの世界。
仏界…悟りの世界、とらわれのない真の自由。

 

まとめ

これらは、心の状態にも解釈され、誰でも一日のうちに餓鬼のような心になったり、あるいは菩薩のように慈悲深くなったりする。

しかし、菩薩の心境に安住せよと仏典では教えているのだ。

けれども難しくて、それができずに、心が餓鬼、畜生となったり、たまに菩薩のような心境になり穏やかになったりと、まことに忙しいのが実際であろう。

しかし、よくよく思惟して、自分の足りなさを反省しつつ正しい生活をしていくことにより、徐々に感謝が湧いて、心も穏やかになってくるのだという。

この世は修行の場ともよばれている。前に示した菩薩の心境に安住するために今、この世でいろいろな修行をしているのかもしれない。

人身は受け難し。次に人として生まれ変われるのはいつになろうか? はたまた聖者の世界へと行き二度と六道に生まれ変わらないのか。

よくよく心して三業を浄めて行きたい。

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