パラリンピックの「パラ」ってなに?|チコちゃんより

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パラリンピックの「パラ」ってなに?

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かし、チコちゃんは知っています。

パラプレジアの「パラ」~

パラリンピックの「パラ」はパレプレジアという言葉。

パラプレジアの「パラ」と「オリンピック」を掛け合わせた言葉が「パラリンピック」という言葉なんですね。

パラプレジアとは「下半身まひ」という意味。

下半身まひで車イスに乗る人だけが参加する大会とさ19れていた。

その起源は1948年イギリスのとある病院で行われた。

イギリスのとある場所で行われたアーチェリーの競技会だと言われています。

1948年ロンドンオリンピック。これに合わせてロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で、第二次世界大戦で負傷した軍人たちがリハビリの成果を競い合う、アーチェリーの競技会が開かれました。

この競技会は「ストーク・マンデビル大会」と呼ばれ、1948年以降、毎年この病院で開催。

次第に世界各国から車イスの選手が集まるようになった。

1960年に「オリンピック開催都市でストーク・マンデビル大会を行おう」と大会委員が決めたんです。

こうして毎年ストーク・マンデビル病院で行われていた大会は1960年「ローマオリンピック」に合わせてローマで開催されました。

この大会はオリンピックにあやかって下半身まひを意味する「パラプレジア」と「オリンピック」を掛け合わせた「パラプレジックオリンピック」という愛称が大会関係者の間で使われていたといいます。

公式にパラリンピックという名前に開催されたのは1964年東京で開催された大会が初めて。

大会実現に尽力した人物、日本パラリンピックの父「中村裕さん」。

大分県で医師をしていた中村さんは当時、最先端のリハビリ技術を学ぶため、1960年にストーク・マンデビル病院に留学。

そこで「スポーツによるリハビリに感銘を受け1964年の東京大会を日本における障がい者スポーツ発展のための第一歩にしようと決意。

順当にいけば1964年にストーク・マンデビル大会が東京で行われる予定のため中村さんは発起人となり、大会準備委員会を立ち上げ開催に向け奔走。

しかしこの大会を東京で開催することに必ずしも世間医療界の評価も良いものではなかった。

みんなの前でスポーツ大会をすることはおよそその頃の日本では考えられなかった。

そこで中村さんは東京大会開催予定の2年前1962年のストーク・マンデビル大会に自身に患者さん2人に参加してもらい「障がい者でもスポーツはできる」とアピールしたのです。

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中村さんの熱意に押され、準備委員会のメンバーはこの大会の名前を「パラリンピック」とし公式に打ち出すことを決めた。

そして、11月8日、織田フィールドには参加22か国の国旗が翻りパラリンピックの開会式がはじまりました。

東京オリンピック終了から15日後、144種目およそ370人ものが参加した。

しかし東京大会以降「パラリンピック」という名前はしばらく使われず、オリンピックと同じ都市での開催も送られてきました。

再び同じ都市で開催されたのは1988年のソウル。

この時東京大会で初めて使われた「パラリンピック」の名前が正式名称に。

オリンピックと並行してという意味の「パラレル」へと解釈が変更され、日本が大会名として以降継続して使われていくこととなったのです。

東京で生まれた「パラリンピック」は来年、56年ぶりに東京に戻ってきます。

  

ということで・・・
パラリンピックの「パラ」ってなに?・・・

パラプレジアの「パラ」~


  

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