なんで街路樹はイチョウが多いの?
しかし、チコちゃんは知っています。
火に強い木だから~
イチョウは他の木に比べて葉が厚く、水分が多い。
だからとても火事に強い木なんです。
また、イチョウは葉だけでなく幹も他の木に比べて多く水分を含んでいるため、木全体が燃えにくく火事に強い木なのです。
今では街路樹と言えばイチョウが多いですが、実は最初は違っていました。
そもそも東京で街路樹を植え始めたのは、明治初め都市の近代化を目指していた日本政府がヨーロッパなどの町を参考に街路樹として、銀座に桜や松、柳を植えましたが、土が合わなかったり手入れがうまくいかなかったりで、なかなか育ちませんでした。
街路樹に見た目の美しさだけを求めていた風潮の中、東京の芝公園をはじめ、札幌の円山公園など、日本中の公園の設計案作りや整備に関わるのちに「近代公園の先駆者」と評価される人物「長岡安平」。
当時は東京市の一公務員でした。
そんな長岡が街路樹にイチョウを植えることを提唱。
当時警官が大事と言われていた街路樹ですが、長岡は防災の面でも街路樹の役割が重要だと考え、火に強く昔から日本にあるイチョウを提案したのです。
しかし、このころの日本は日清・日露戦争など軍にかかる予算を最優先にしていました。
莫大な予算がかかるとして、一地方公務員であった長岡の意見など誰も聞こうとしなかったのです。
長岡は防災面での街路樹の重要性を色々な人に説いてまわりました。
そしてついに、農商務省林業試験所所長や新宿御苑苑長などの力を借りて計画書を作り上げた。
明治40年、計画書がついに通ったが10種類書いてあった。
外来種のスズカケの木やユリの木など10種類の樹木が描かれていたのです。
このころは海外のモノを取り入れることを良しとする風潮があった。
それゆえ、イチョウなどの在来種をという長岡の案に反し、外来種が多く採用されてしまったのです。
それでも長岡は現在の東京・大久保や野方周辺に苗圃(苗木を育てる畑)を作り、イチョウを育てた。
いつ街路樹として植えられるかも分からないイチョウの苗木を育てました。
そして長岡が恐れていたことが起こったのです。
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大正12年9月、関東大震災。
東京で死者6万5902人。家屋は16万6192戸以上焼失。
東京の6割以上の街路樹が焼失。
しかし、そんな中イチョウの多くが燃え残り延焼を防いだ事例も多くあった。
イチョウが火に強いことが分かり、街路樹の多くがイチョウになった。
東京はその後、新たに植える街路樹の多くをイチョウにすることにしたのです。
長岡さんがイチョウを育ててくれておいたので、関東大震災の復興事業もスムーズに進んだ。
これはきっと長岡安平さんの思いがあったからこそだろうと思います。
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