なぜお城にしゃちほこが乗っている?|チコちゃんより

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なぜお城にしゃちほこが乗っている?

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かし、チコちゃんは知っています。

織田信長へのリスペクト~

初めて城にしゃちほこを乗せたのは、織田信長の安土城。

現在我々が城だと思っているものは、信長が作り出したもの。

1579年安土城。

しかし現在は、城跡が残っているだけで、その姿を見ることは出来ません。

そもそも城というのは、敵の攻撃から守るための要塞。

したがって信長以前の城というのは、土で出来ていた。

高い石垣や天守のない非常に粗末なものだったんです。

安土城以前の城は山の地形を生かして敵の攻撃を防ぐ山城が主流でした。

城の立派さを見せつけると言うことは相手を屈服させるため。

それが織田信長の発明、創案ですね。

つまり安土城はそれまでの概念を変える革命的な城だったのです。

では、なぜ信長はこの安土城にしゃちほこを乗せたのでしょうか。

多分ですね。

この信長っていうのは、中国文化に非常に傾倒してたんですよね。

中国と言えば、皇帝が住んでいる宮殿の屋根の上に龍が乗っていた。

信長がそれに憧れていたという。

自分の城にも龍を乗せたいと思いましたが、よく見るとこの龍には胴体がない首から上だけ。

しかし武士にとってはこれは打ち首のようなもので、縁起が悪い。

そこで信長が目を付けたのが、鯱(しゃち)。

鯱は頭が虎、もしくは龍。

胴体が魚。

中国の空想の生き物です。

鯱を屋根の上に乗せた時に、尾っぽを上の方にせり上げると、中国の「矛」という武器によく似ていますから、しゃちほこと名前が付きました。

威勢が良くて格好が良いと言うことで、信長にとってしゃちほこがもっとも理想的でした。

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鯱は火事の際に水を出すという伝説もあった。

安土城はしゃちほこを付けたことで、天下統一のシンボルとなるはずでした。

しかし、1582年、本能寺の変で信長はこの世を去りました。

同じ年に安土城のしゃちほこも焼失。

天下統一を果たせなかった信長の思いを引き継いだのが豊臣秀吉でした。

豊臣秀吉が城を作る時に安土城スタイルの城を作った。

こうして秀吉が作ったのは大阪城。

しゃちほこが乗った信長スタイルを継承することで、自分こそが信長の後継者であると知らしめたのです。

従う大名たちにもしゃちほこが乗った城を作らせた。

秀吉の命令によって日本中に信長方の城が広まって全国の城が安土城の形。

すなわち信長に対して非常に敬意を払っている。

いわば信長に対するリスペクトということになるんでしょうね。

  

ということで・・・
なぜお城にしゃちほこが乗っている?

織田信長へのリスペクト~


  

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