お肉といえばなんで西日本は牛肉・東日本は豚肉?|チコちゃんより

お肉といえばなんで西日本は牛肉・東日本は豚肉?|チコちゃんより

お肉といえばなんで西日本は牛肉・東日本は豚肉?

スポンサーリンク






かし、チコちゃんは知っています。

西が公家で東が武士の社会だったから〜。

静岡県立農林環境専門職大学 教授 祐森誠司

東日本は豚肉、西日本は牛肉。

この違いっていうのはですね武士と公家が生活の中で使っていた動物の違い。

これが大きく影響しているんです。

今からおよそ1,400年前。

飛鳥時代から平安時代まで日本の中心は奈良・京都など公家が中心の社会でした。

その当時に西日本で仕事してくれる動物として使われていたのが牛。


縄文から弥生時代に水田技術とともに伝わる。

農耕や移動を手伝う動物として重宝。

東日本には牛は広がらなかった?

途中にアルプスの高い山だとか静岡県の中に流れている大きな川とかがたくさんありますのでなかなか運べなかった。

更に関東は富士山の火山灰が積もる痩せた土地だったため、大量に牧草を必要とする牛はほとんど育てることができませんでした。

そのため政治の中心が京都から関東に移りますと、公家の社会は西に残って武士の社会が東の中心になっていくわけですけれども。

このときの移動手段として馬が利用されるようになった。

いざ鎌倉
一大事が起こればいち早く幕府に馳せ参じるのが武士の務め。

最も早い移動手段➡馬  

さらに牛と比べて胃袋が小さい馬は、草の少ない関東でも飼育ができ、農業にも活躍しました。

鎌倉時代の書物には、今の産地は東日本で牛の産地が西日本に多かったと書かれています。

(牛や馬は)基本的に食べない。

日本は飛鳥時代に伝わった仏教の影響で、動物を食べることが度々禁じられてきました。

基本的には明治時代になるまでのおよそ1200年間、食肉は禁止だったのです。

スポンサーリンク



では豚は?

豚が日本に入ってきたのは、戦国時代沖縄と九州の間の島々に伝わった。

数が少なかったことと、島と本土の間で交流があまり多くなかった。

豚を食べる文化は本土には伝わらなかった。

さらに、牛や馬と違い、農耕や移動手段の役に立たない豚は、食肉禁止の時代にはあまり広まらなかったようです。

しかし、食肉文化に変化が。

江戸時代末期開国によって、日本に外国人が押し寄せると食肉文化の外国人は、日本で肉料理を食べました。

食肉は文明開化の象徴として、横浜などで流行。

1862年には横浜に初の牛鍋や「伊勢熊」ができると福沢諭吉が「牛肉は滋養に良い」と言ったこともあり、牛鍋が大流行。

こうして日本人中に牛肉を食べる文化が広まりました。

では、豚はと言うと…。

実は明治5年に西洋式の養豚を開始されましたが、牛肉に対抗するほどは広まりませんでした。

しかしこの後、1894年。1904年と日本は立て続けに戦争状態になった。

この時軍隊の食料に採用されたのが牛肉の缶詰。

これを機に牛肉は品薄になり、価格が高騰。

このピンチを救ったのは豚なのです。

豚は雑食性の動物なので、どんなものを食べてもよく、残飯が多かった。

都市部に豚の雑食性がマッチ。

さらに豚肉料理の定番、カツレツやとんかつなどが誕生し、豚肉の需要はうなぎ登りに。

そして終戦後、国民に栄養が高い食料を提供するため、豚肉に白羽の矢がたった。

豚は食肉として育つまでが6ケ月と牛の5分の1。

年に2,30頭産む繁殖能力にも注目され、茨城や千葉に次々と畜産試験場が立てられました。

こうして安く大量に生産できる豚が東日本に広まっていきました。

スポンサーリンク



ではなぜ西日本には広まらなかったのか?

西日本にはそれよりも先に、もう牛肉の文化が定着しています。

豚肉の食文化が入り込んでいく余裕がなかった。

こうして西日本は牛好き、東日本は豚好き文化が完成。

  

ということで・・・
お肉といえばなんで西日本は牛肉・東日本は豚肉?

西が公家で東が武士の社会だったから〜。


  

番組公式ページへ

スポンサーリンク