人生は徳と因縁の戦い
人の幸・不幸は徳と因縁の戦いの結果である。
徳が優れば何事もなく事を成就しやすいし、因縁にとらわれれば何かの障碍に遭い何をやってもうまく行かない。
たとえどんなに才能豊かな人でも徳が無ければうまくゆかずに中途挫折してしまうこともしばしばあります。
この徳を積むことで人生も驚くほど変わってきます。
言い方を変えれば徳があるか無いかで幸せになれるかどうかが決まるといっても過言ではないのです。
なぜ、あの人は才能はそこそこなのにあんなに人生がうまく行くのか? と思ったことはありませんか?
それはその人に徳があるからで、前世での善行とか徳積みによる結果なのです。(親の徳、先祖の徳などもありますが…)
では、どうすれば徳を積むことができるのだろうか?
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誰でもできる布施
一般に布施(徳に変えることができる)には財施、法施(仏教などの法を説く)がありますが、これらは、簡単なようでなかなか難しいものです。法施などは資格がないと人に教えを説くことは禁じられています。
布施を徳に変えていくには、布施した人の心に、見返りを求めるようなとらわれがあったらなかなか徳とはなっていきません。
けれども徳薄くして財も少なくなかなか徳を積めないという人でもすぐに実践できる布施があります。
それが無財の七施です。
雑宝蔵経にある、『仏説きたまうに七種施あり。財物を損せずして大果報を獲ん』とあり、
◯眼施(げんせ) 優しい眼差しを人に向けていくこと。
◯和顔施(わがんせ) いつも笑顔で人に接する。
◯言辞施(ごんじせ) 親切で温かな言葉をかけてあげる。
◯身施(しんせ) 自分の体を使って施す。人々に奉仕すること。
◯心施(しんせ) 常に相手を思いやること。
◯床座施(しょうざせ) 座席を譲ること。
◯房舎施(ぼうしゃせ) 家に人を招いてもてなしたり、泊めてあげること。
これら七つの良き行いに財を使わずとも、また財が無く布施をできない人でも大きな徳をつむことができるのです。
そのほかに、相手の苦を除いて安心を与えていく無畏施、人々に安心と喜びを与えることも大きな徳積みとなります。
お笑い芸人とかは案外徳を積んでるのかもね。
ただ、先に書いたように、見返りを求めての執われた心でなく、あくまで清浄な心で喜んで行うことが、徳積みを成就させる秘訣である。
最後に
このように、たとえお金がなく、徳分の薄い人でも徳を積む方法があり、幸福になっていけるのですから、常に意識して無財の七施を行っていくことで誰もが幸せを掴むことができます。
あくまでも、不浄な心ではなく、喜びをもって行うことが前提です。
この布施により自らの貪(むさぼ)りの心を浄められるといわれ、貧瞋痴(どんじんち)の三毒(不幸のもととなるもの)が取り除かれて行き、誰もが幸せとなってゆけるのです。
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