大変だった嫁一年生
嫁として、お盆は最大のイベントである。
結婚する前は、私の家には仏壇がないので、迎える側の方の経験がなく、お墓参りを終えて「さぁ、ご馳走になるか」の方だった。
でも結婚してから人をもてなす側となり、改めて盆行事と向き合うこととなった。
特に嫁一年目はドキドキものだ。
初めて会う主人の親戚。もてなしの料理、贈り物、頭の中はパニック。
お中元は「何個買うの?」「誰が支払?」挙句の果てに「これは黒のし?」「赤のし?」そう、お中元などにつける、のし紙からわからない。
お中元って普通に赤のし紙で「お中元」しかないと思っていた私は、嫁に来て初めてお中元用と仏壇用と2つ用意するのを知った。恥ずかしい。
そんなこんなだったから、大げさだが、毎年一か月前からソワソワ。
正直お盆が怖かった。 でもここは、一年生。義母に教わりながら覚えていくしかない。
義母と一緒に前日から、盆棚に飾るお菓子、お花などを準備し、主人が棚作りの準備をしたものだ。
こんなに義母といっぱい会話したのは、初めてという位、伝わってきたものを教わった。
義母も私と同じ、最初の頃は大変だったらしい。
厳しいお姑さんだったらしくて沢山怒られたそうだ。
だからこそ、私にはそういう気持ちにさせたくないと言っていた。
あれから15年。今思えば、それをきっかけに義母や親戚とは仲良くなったことはもちろん、昔ながらの風習も知ることが出来て、同居して良かったと思う。
今では「お母さん、盆の準備するから、一緒に買い物いくよ」と実の娘のようになった。
これはきっと、ご先祖さまがくれたご褒美なのかなと思った。 だから今ではお正月やお盆が好きになった。
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お盆の準備
いよいよ8月13日からお盆。
地域によって異なるとは思いますが、ご先祖様を迎える盆棚を13日朝に作る。
盆棚とは、お位牌を配置して、お供物などをお供えする棚のこと。
よくナスで作った牛、胡瓜で作った馬がお供えしているのを、よく見かけるが、これは、ご先祖様が胡瓜の馬に乗って、早くこの世に帰れるように、そして、帰りはナスの牛に乗ってゆっくりあの世に帰るようにとの願いが込められているようだ。
今では店でも、プラスチックで出来たものも売ってある。
そして、お供えする料理、赤飯、煮物、天ぷら、酢の物などを作る。
盆棚用とお墓用と2つ作り、13日の夕方に菩提寺とお墓に行き、ご先祖さまを迎える。
今はお墓にはお供えものは出来なくなった。
前までは、お墓に行くと、家それぞれの料理がお供えしてあり、お墓のまわりは華やかだったが、今はカラスを防ぐため、お菓子すら置いていくことは禁止になった。
でも拝む時だけはと思い、いつもご馳走をお重につめて持っていく。
よくその場で食べると、健康を頂くとか小さい頃いわれた記憶があるが、故人を偲びながら一緒に食べることも供養となるようだ。
特に新盆の家は、クリスマスのイルミネーションのように、沢山の電球を家に飾り、迷わずにこれるようにしている。
これもまた美しい。ご先祖さまを思う気持ちを感じる。
それと共に16日はお盆を一緒に過ごしたご先祖様を送り出す精霊送り。
この時期に「送り火」を焚くこともある。
盛岡に「舟っこ流し」の行事があるが、これも送り火の一つになっている。
お盆は13日から16日までだが、嫁としての仕事はいっぱいだ。
お盆中のお供えする料理だが、これまた私にとって修行だった。
これも義母に教わったうちならではのしきたりかと思うが、お盆にお供えする料理は、ご先祖様が起きる前に料理をお供えすることが代々伝わっている。
だから朝5時まえには起き、天ぷらや煮物などを作り6時まえにはお供えする。
義母がうっかり寝坊してしまった時があって「いつまで寝てる、ご先祖さまが起きてしまう。早くご飯をつくりなさい」とすごく叱られたらしい。
それからは、気合いを入れて頑張ったという。 私もそれを実践。4時には起き、料理を作る。
最初はせっかくのお盆休みなのにと思ったが、だんだんとご先祖さまへの感謝や近くにいるような感じを覚えた。
よく昔の人が言うことは間違いないというが、本当にそうだなと思った。
盆棚を作る作業、親戚を迎える準備、ご先祖さまへの料理作り、そして送り盆。それぞれにご先祖さまを思う気持ち、それが次第に他にむける心とつなっがて行く気持ちへと変わる。
ご先祖さまあっての今の自分。日々守られていることを実感することが多くある。その都度感謝出来ていればよいのだが、なかなか自分にとらわれてしまって、いつの間にか、奇跡だとか運が良いとか自分の力でと思ってしまう時がある。
でも私たちは見えないところで、守られていることは確か。
ご先祖さまへの感謝は忘れてはならない。 まさにお蔭さまだ。
だからこそ、お盆の時期はしっかりとご先祖さまに真のプレゼントをしたいものである。
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