遊戯三昧の一休さん、今東光さん

とらわれのない人

私の好きだった人に故 今春聴(今東光)大僧正 がいるが、非常に豪傑な方で若い頃は師の生き方に憧れたものであった。

作家でもあり画家、政治家とかなり多才な人だったが、何よりも稀代の傑僧であったらしい。世界遺産、中尊寺貫主も勤め瀬戸内寂聴さんの師僧としても有名ですね。

その寂聴さんも通常の出家のような禁忌生活ではなく、出家後も男性と付き合い、化粧をし、酒を飲み 、高級霜降り肉もたくさん食べていると自ら認めているほどかなりの豪傑だ。

こう書くと生臭和尚みたいだが、ちゃんと人々に説法をし、実際多くの人を救っているのだ。ここが大事。

 

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ちょっと古くなるが一休さんとなんか似てるなーと思った。そんなに詳しい訳でもないが。
 『以下ウィキペディア』より

一休さんは『洞山三頓の棒』という公案に対し、「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから師より一休の道号を。

なお「有漏路(うろじ)」とは迷い(煩悩)の世界、「無漏路(むろじ)」とは悟り(仏)の世界を指す。

ある夜にカラスの鳴き声を聞いて大悟する。華叟は印可状を与えようとしたが、一休は辞退した。

華叟はばか者と笑いながら送り出したという。以後は詩、狂歌、書画と風狂の生活を送った。

印可の証明書や由来ある文書を火中に投じた。男色はもとより、仏教の菩薩戒で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の女性である森侍者(森女)や岐翁紹禎という実子の弟子がいた。

木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。

これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を風刺したものであったとされる。

親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がり込み、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。

その時に帰宅した蓮如は「俺の商売道具に何をする」と言って、二人で大笑いしたという。

正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな

女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む

世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬを待つばかりなり

南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

これをみると凄いとしかいえない。何事にもとらわれない自由自在である。

先に書いた今春聴(今東光)和尚も遊戯三昧を好んで使っていた。

あと、一休さんかどうかは疑問だが、このような逸話もある。

仏性やいづこに

山伏 「仏性はどこにあるか」
一休 「この胸三寸にある」
山伏 「さらば、その胸を切り裂いてやろうか」
一休 「年ごとに咲くや吉野の桜花
      木を割りてみよ 花のありかを」

彼等のように本当の自由自在の人になりたいものである。

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